皆さんおはようございます。毎日、世界中の女性と子どもたちを幸せにするためにご尽力いただき心から感謝申し上げます。
先日、私が国立がん研究センターで研究をしていた頃の恩師、横田淳先生にお会いする機会がありました。横田先生は非常に厳しい方で、当時はとてもとても大変な思いをしましたが、なんとか食らいついていこうと必死に過ごしておりました。今思えばその経験があったからこそ、どこへ行っても大丈夫だという自信を持てるようになった気がします。横田先生には本当に感謝しています。
私ががんセンターに行くことになったのは、第7代主任教授の寺島芳輝先生からの命を受けたことがきっかけでした。当初は私ではなく他の先生が行く予定だったのですが、その方が辞退し、次に話を受けた方も辞退し…と巡り巡って私のもとへ話が届いたようでした。実は私も話をいただいたとき、一度は丁重にお断りしたのですが、30分もしないうちに寺島先生からお電話をいただき、すぐ教授室に来るようにと呼び出されました。当時私は青戸病院(今の葛飾医療センター)で務めていたのですが、慌てて午後の時間を調整し、先生の元へ向かいました。そこで寺島先生から「がんセンターに行って遺伝子の研究をしなさい」と言われたのです。実はそのお話をいただく半年前、私の結婚式で寺島先生が媒酌人としてスピーチをしてくださった際に、「オーストラリアでIVF-ETを学んだ先生と一緒に慈恵でIVF-ETを立ち上げてもらう」と言われておりましたのでそのことをお伝えしたのですが、寺島先生には「これからは不妊症もがんも遺伝子の時代だ」と一蹴されてしまいました。
そこで私は「どのような研究をすればよいのでしょうか?」と尋ねたのですが、「そんなの自分で調べなさい」と叱られてしまい、インターネットもメールもない当時、私は突然の話にどうすればいいのかしばし途方に暮れてしまいました。
そのとき私の頭には3つの選択肢が浮かんでいました。
1) 指示通りがんセンターへ行く
2) がんセンターの面接で不合格になる
3) 開業する
しかし3) の選択肢に関しては、当時既に専門医の資格を持ってはいたものの、状況的に実現困難な雰囲気でしたし、私自身もまだ大学で臨床経験を積みたいという思いがあったので、必然的に1) か2) を選ぶことになりました。結果はもちろん、私は面接に無事受かってしまいがんセンターに行くことになったのです。
今や私が先生たちを様々な施設へ送り出す側になっていますが、私は学生を留学に出すときは、必ずその指導者に何度か会い、その人の性格や研究費、過去5年間の研究実績などを確認してから送り出すようにしています。
先週の集談会で、順天堂大学の小林先生が医療安全に関する講演で触れておられましたが、何かを選択しなければいけない場面で迷ったときは、一番難しい選択肢が正しいことが多いと言われています。私自身の先の経験からも、今思い返しても、あのとき一番難しい選択肢を選んでよかったと思います。もしそうしていなければ、こうして皆さんの前でお話しすることもなかったですからね。人生の大きな転機を与えてくださった寺島教授には心から感謝しています。
皆さんも、人生の選択で迷ったときは、あえて一番難しい道を選んでみてはいかがでしょうか。
それでは、今週もよろしくお願いいたします。